江戸時代・1603年に

徳川幕府が成立した後も、秀頼は大坂城に留まり摂津を支配していたが、1614年の大坂冬の陣で家康とその支持大名らによって構成された大軍に攻められ、篭城戦を行った。

そして、その講和に際して惣構・三の丸・二の丸の破却が取り決められ、大坂城は内堀と本丸のみを残す裸城にされてしまう。

秀頼は堀の再建を試みたために講和条件破棄とみなされ、冬の陣から4か月後・1615年の大坂夏の陣で大坂城は落城し、豊臣氏は滅亡した。
update:2010年02月26日